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道具集めの文具スキー、カメラ好き。秋になると手帳の熱い語りが増えます。
月と水蓮と手帖
烙印を押される子供たち
2014-10-24-Fri  CATEGORY: 日々雑感
ちょっとギリギリなタイトルだったかも。

今回は自分の体験から、こうだったのかなーという、自己流仮説論です。

・褒められたことを挙げてください。
・昔からこれは得意だったということはありますか?

こういう問いかけに思考がフリーズしました。
思い浮かばないのです。

いくら、頭の悪い屑人間でも長い人生では一回位は褒められたことがあるはず。

草の根を分けるように探せば(他人からは価値の無いような事柄でも)なにか褒められたことや、得意なことはある筈なのです。

でも、思い浮かばない。

この手の問いかけの時には、直接「子供の時から」というキーワードが入っている場合もあるし、なくても自分の記憶の範囲内で子供の時から、情報をサーチしてしまうのです。
そうすると、子供の時(小学校→中学校→高校)の時にダメな子とジャッジメントされたことが心の縛りというか、壁になって数少ない褒められたり、得意なことの体験が隠れて見えなくなってしまうようです。

小学校一年の時に『お茶碗を持つ手を挙げてー』で他の皆と違う手を挙げて、先生位に違うと呆れられ、クラス中から『あいつバッカでー』と笑われ・・・・・
今冷静に考えると「自分は馬鹿」のトラウマだか、躓きはこれだと理解できる。

実際、頭の悪い子でしたし(笑)
その後も、上手くできないこと、理解できないことで馬鹿にされても、頑張ろうと思うよりは、馬鹿だから仕方がない。と諦めていました。
これは”逃げ”だったと同時に、押された烙印が決して消すことの出来ない、生涯ついて回るものだとその頃から思っていました。


Inaさんのブログを見た時に、大げさに言うと目から鱗でしたね。



『学校で認められたり、褒められるするのは極めて特殊で偏った能力』

>私は小・中・高の全てを公立学校で過ごしたので、主にその経験から言いますが、学校で褒められる事って、結局、いい成績をとる事、先生の言う事におとなしく従う事です。
質問シートが書けないのはなぜ?~質問シート3部作(2)
http://ameblo.jp/fantasieimage/entry-11919926558.html
より一部抜粋



学校の枠組み、運用の中に上手く組み込んで過ごすことが出来れば、少なくとも馬鹿の烙印は押されないし、大人になっても変な壁に自己肯定を阻害されることはない・・・・・筈。
私は見事に落ちこぼれたけれど。

もし、小学校→中学校→高校の9年間に限っても、この枠組みに上手く嵌れなかった人間を馬鹿=何の役にも立たない=人間のクズとして一生続くなら、私は多分この場所に立っていない。
でも、馬鹿は馬鹿なりに、ちょっと実社会で生き抜く術をどうにかこうにか身に付けて、最低限米代くらいはなんとか稼げているのである。


小学校→中学校→高校の評価 ≠ 実社会での評価

こうやってわざわざ書くコトも無いような、当たり前のことなれど、
一般論として知識はあっても、
自分の中ではなかなか腑に落ちなかった。

頭では分かっていても、心では受け入れてあげられていなかったのでしょうね。

だって、ずっと心の中に”馬鹿の壁”があったから。

いまでも、有るのです。「馬鹿の壁」
ただ、少し小さくしました(笑)多分・・・・・

ベルリンの壁みたいに、打ち壊すことが出来ればいいけれど。





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